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連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』EPISODE 109

※ 記事内に商品プロモーションを含んでいます

EPISODE 109の流れ

2022年 ひなたの実家

パソコンで誰かと会話している ひなた。

新作に出演する日本人俳優を探しに来ているようです。

ひなたの机の上には、子供の頃の愛読雑誌「おサーカス」もありますね。

ひなたのノートパソコンに貼ってあるステッカーは条映太秦映画村のキャラクター・カットリくんでは!?

 

 

壁には『サムライ・ベースボール』のポスターや、12月25日に行われたクリスマスジャズフェスティバルのポスターも貼られています。

会話が終わり、ほっとし、ほっとしていると1通のメールが届きました。

NHKの会議室

「初めまして、小川未来(みき)と申します」と言って名刺を差し出す小川さん。

小川さんは雑誌に掲載された ひなたのインタビューを読んだそうです。ちょうど、ひなたは2年ぶりに日本へ戻ってきてたところだったとか。

雑誌については、内容を書き起こしてみましたので興味があれば。

小川さんは、ひなたが英語をラジオ講座で身につけたことに驚いています。

「はい。40過ぎてから留学しましたけど、それまではラジオ講座を欠かさずに聴いていました」

「私も親の言うことを聞いとけばよかったなあ。父に、しょっちゅう言われてたんです。英語ならラジオで勉強すればいいのにって。家族でカムカム英語を聴いていたんだそうです」

「平川先生の?」

「ええ、どこかの子連れのお母さんと一緒に」

「えっ?よその人と?」

「そんな時代だったんだそうですよ。ふふっ」

ぎゃーーーーー。

小川さん、どこかの子連れのお母さん、カムカム英語ーーーーーーー!!!

 

詳しくは、EPISODE 023024をお読みください。

ひなた、”どこかの子連れのお母さん”って祖母・安子さんと、母・るいさんのことーーーーー!!

そして話は本題に。

小川さんたちは2024年度に新しい英語講座を開設する予定で、ひなたに講師をしてもらえないだろうか?というオファーでした。

クリスマスジャズフェスティバル当日の楽屋

ラジオ番組「みんなあつまれ磯村吟」に出演しているアニー・ヒラカワさんの声がラジオから聞こえてきます。

『サムライ・ベースボール』の配役として有名なモモケンだけでなく、伴虚無蔵さんをミラー監督に推薦したのがアニーさんと知って驚いている司会の磯村氏。

日本映画だけでなく、沢山の映画を見るのが仕事だ、と通訳さんを介して話すアニー。

そして、話はアニーの身の上について。

アニーは1925年シアトル生まれの日系アメリカ人。そしてシアトルのワシントン州立大学で演劇を専攻。

初めて見た映画を聞かれ、風と共に去りぬだったかしら…と答えるアニー。

 

磯村氏「1939年公開の言わずと知れた名作です、これは。そして日本ではね初代モモケンの黍之丞シリーズ第2作目”棗黍之丞 仁義剣”が公開されてんですよ」

チラっと映ったのは、安子と稔が映画を見るシーン。

この映画を観たか?と聞かれたアニーですが、なかなか答えようとしません。黙りこくってしまいました。

困った磯村は「一曲聞いてもらいましょうか。曲は…」と言うのを遮るように、今まで英語で話していたアニーが日本語で「見ました」

「えっ?」

ラジオの前で驚く ひなた。そして、視聴者の我々も「えっ??」

「1939年、昭和14年に私は”棗黍之丞 仁義剣”を見ました」

るいと錠一郎もラジオの方を見ています。

「アニーさん、何で日本語?」と言うひなた。

アニー「後(のち)に夫になる人と」

磯村「あの…え…アニーさんのご主人といいますと、戦後シアトルの大学で教鞭をとられていた…」

アニー「大阪の映画館でした」

磯村「大阪…日本の大阪ですか?」

だいぶ混乱している磯村氏。

アニー「もう二度と会わない覚悟で彼に会いに行きました」

EPISODE 008ですね。

アニー「やがて私たちは結婚しました。ひとつきもたたないうちに彼は出生しました。娘を授かったことも知らずに。彼は帰ってきませんでした」

信じられない、という表情でラジオを見つめる るい。

アニー「遠い海に行ったきり戻りませんでした。私は娘を連れて家を出ました。貧しくて苦労もしましたけれど幸せでした」

アニー「あの日、娘の顔に傷をつけてしまうまでは……」

これを聴いて、さすがに錠一郎も(あれ?)という顔でラジオを見ます。

アニー「私は娘を連れて夫の実家に戻りました。でも、歯車は狂ったきり止まりませんでした。家業だったお菓子屋を再建したい。義父の財力に頼らず娘の傷を治してやりたい。

若かった私は自分の気持ばかりで大切なことを見失っていました。幼い娘の胸の内を本当には分かっていませんでした。るい」

驚いて、るいの顔を見る錠一郎。

アニー「るい、るい、お母さんあれから何べんも考えたんよ。何でこねえなことになってしもうたんじゃろうって。私ゃあ、ただるいと2人、当たりめえの暮らしがしたかっただけじゃのに…」

るいの回想

ロバートと抱き合う母の姿。

I hate youと母に行って扉を冷たく締めた自分。

ひなたに、安子の結婚写真を見せた自分。

楽屋

アニー「じゃけど私ゃあ、もう向き合うことができなんだ。ただ消えてしまいてえと思うた。るいの前から消えることが、るいにしてやれるたった一つのわび方で、そして祈り方じゃあ、そねえ思うた。るい……」

アニー「おいしゅうなれ、おいしゅうなれ、おいしゅうなれ……るい」

磯村は、無理やりラジオ番組を締めくくります。

「お母さん、お母さん…」そういって泣きながら出ていこうとする るい。

桃太郎「お母ちゃんのお母さんなん?」

ひなた「アニーさんが…おばあちゃん?」

とにかく引き留めよう、という桃太郎。

トミーが今のラジオ局へ連絡したらどうか、と。ひなた、慌てて連絡しようとします。

桃太郎は、アニーと面識があるのは ひなただから、ひなたに任せようと。お母さんに届くように予定通りサニーサイドを演奏しようという錠一郎。

 

ひなたは上司の磯村へ携帯電話で連絡し、アニーのスケジュールを調べてくれないかとお願いします。

とにかく岡山駅までタクシーで向かうひなた。

途中、榊原から連絡が入りました。アニーは今日の13:40に関西空港から帰国すると。

 

果たして、ひなたは安子に追いつけるのか?

 

記事を書き起こしてみました

 

ひなたと五十嵐のインタビューが掲載された雑誌。

内容を書き起こしてみました。なお読みやすいように、私が勝手に改行しています。

 

タイトル”ハリウッドで活躍する日本人”

映画の聖地ハリウッドで華々しく活躍する日本人10人に、これまでの歩みと今後の展望を語ってもらった。

大月ひなた

01 キャスティングディレクター 大月ひなたさん

”日本のアクターと海外映画の架け橋に”

ー 英語と映画とハリウッド キャリアを支えた家族の存在

小さい頃の夢は、侍になること。凛として弱音を吐かず、こうと決めたことは命がけでやり遂げる、そんな姿に憧れていました。

でも私自身は飽き性でだらしなく、夏休みの宿題は最終日に泣きながらやるタイプ。命がけでやり遂げたいと思えるものが長い間見つけられずにいたんです。

そんな私が今キャスティングディレクターとしての道を歩むことが出来ているのは、家族のおかげなんです。

そもそも私が映画やドラマを好きになったのは、時代劇好きの父の影響。毎日のように父とテレビ時代劇を観ていたら、いつの間にか私のほうが夢中になってしまって。

父に何度も連れて行ってもらった条映太秦映画村に就職を決めました。映画村の来場者数が減り始めた頃、もっと外国からのお客様を呼びたいと思い本格的に英語の勉強を始めたのですが、その原動力となったのは母の存在でした。

ある日、母が外国の方と英語で話しているところを見かけたんです。聞けば15年以上毎朝ラジオ英語講座を聴き続けていたらしくて。ラジオを聴き続ければ本当に英語が身につくのかと驚き、刺激を受けました。

それから私も母と一緒にラジオ英語講座を聴いて勉強するようになり、ようやく日常会話レベルの英語力が身についた頃、今度は今の道に進むきっかけとなった祖母との出会いがあったんです。

祖母とは長い間接点がなく、生きているかどうかさえ知りませんでした。でも、映画村で偶然会うことができたんです。

そのとき祖母は「サムライ・ベースボール」のキャスティングディレクターとして、視察のために映画村を訪れていて。その佇まいや仕事ぶりに見惚れていたら、のちに実はそれが自分の祖母だとわかり本当に驚きました。

「アメリカに来て映画と英語を勉強してみないか」と誘いを受けたとき、すでに40歳も目前というタイミングで悩みましたが、単純にワクワクしたのと、祖母の人生に比べたら私にはまだ挑戦が足りないとも思い、誘いを受けることを決心。

20年務めた条映太秦映画村を退職して渡米し、大学に通いながら祖母のアシスタントとしてさまざまな現場に参加、2012年公開の映画「KIYOMORI」で初めてキャスティングディレクターとしてクレジットしていただきました。

ー 日本の俳優に、世界のチャンスを

日本の作品では「有名だから」「顔が知られているから」という理由でキャスティングすることが多いのですが、アメリカでは知名度よりも、その作品のその役に合っているか否かで判断するんです。

自分が「この人だ!」と明るい光を感じた人にチャンスを与えることができる点に、大きなやりがいを感じています。

また私自身、英語の習得に苦労してきたからこそ、英語を喋れない人でも国際舞台で活躍できるようサポートしたいという気持ちも強くて。

日本にいるすべての俳優にチャンスを与えることができたらと思っています。

今後は日本の時代劇作品をアメリカでリメイクするようなことも仕掛けたいと思っています。その際には、これまでの経験のすべてを注ぎ、最高にクールな作品を作りたいですね。

 

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うさかめ
私が実際に見たり、行ったり、食べたりして良かった!おすすめしたい!というものを紹介していくブログです。

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